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箸と筷子

2009.08.04.00:40

136  「お箸」 についてのお勉強の成果、第二弾のご紹介で~す。

 日本語では 「 (はし)」 ですが、中国語では 「筷子 (kuaizi)」 と書きます。 (文字化けする心配がありますので漢字の画像も貼っておきますね。 8 8

 箸と筷子
 基本的な単語なのに日本語と中国語ではどうしてこんなに大きな違いが生まれたのでしょうね 361 
 考えたら不思議ですね  


137  日本人は昔から外来の文化や技術を取れいれて、それをリファインして変容させるのが得意ですから 、最初、私は 「(はし)」 の字も日本人が中国から伝わった 「筷子 (kuaizi)」 の字を何らかの理由で 「 (はし)」 に変えたのだろうと推測したのですが、それは間違っていました。
 変えたのは中国人のほうだったのです363 

 中国語のウィキペディアの中でも文言版の 「維基大典」 をみると URL  のところに、 「野史」 として、

筷,讀若快。昔時好食之人,迫不及待,遂以棍棒夾食,故曰「筷」。又傳「筷」乃粵漁者創,粵語「箸」「住」同音,而「住」即「停」也,不吉,故曰「筷」,為「快」之同音字也。

 という記述がありました。

 要するに、中国には 「南船北馬」 という言葉があるように、長江から南の江南地方では人々の主な移動手段や商品の運搬手段は船でした。 それだけに 「箸」 という字は 「(船が)止まる」 という意味の 「 (zhu)」 と同じ発音なので、江南の人たちにとって、 「箸」 は不吉な文字だったのですね

 それで江南の人たちは洒落っ気を発揮して、止まるの意味の 「住 (zhu)」 と正反対の意味をもつ 「快速」 の 「 (kuai)」 と呼ぶようになったのだそうです。 そして宋か明の時代になってからは、「快」に竹冠をつけた 「筷子」 という文字が中国全土にも広まっていったのだとか

 このお話は百度百科の 「筷子」 や他のところでも同様の記述をいくつも見かけましたので、これは中国では広く認められている説みたいですね

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日本経由で行った新疆ウイグル

2009.07.21.21:20

136 10年後、私が30才になったとき、あるいは40才、50才になったとき、 「ウイグル」 はどうなってるのかしらはてなマーク

URL ウイグル族・漢族、膨らむ対立感情…暴動から1週間 (2009年7月9日 読売新聞)
URL 記者の目:ウイグル暴動 漢族中心の弊害露呈=鈴木玲子 (2009年7月17日 毎日新聞)
URL 【ウイグル暴動】中国、補償を倍増、遺族に580万円 (2009.7.21 MSN産経ニュース)


ウイグル1 137 今は新疆ウイグル自治区の首府ウルムチ市へは飛行機だけでなく鉄道でも行けますが、ほんの80年ほど昔の1930年代には、北京からウルムチ市へ行くのに日本経由で行ったというちょっとアンビリバボーなお話をご存知ですか 

 これは、作家の陳舜臣先生と故・司馬遼太郎先生がおっしゃってることですから、けっしてデタラメなお話なんかではないのですよ。

 そのお話は、司馬遼太郎先生と陳舜臣先生の 『本 対談・中国を考える 』 (文春文庫 186頁) に載っていますので、その部分をご紹介しますね。  

〔司馬〕 ところで、「新疆遊記」を書いた呉藹宸(ごあいしん)という人がいるでしょう。
〔陳 〕 福建の人ですね。
〔司馬〕 日本の年号でいうと昭和のヒトケタくらいに大人になった人間でね、自家(うち)は何代も科挙の試験に通っている名門だった。 ところが本人は辛亥革命以後に成人しているので科挙がない。 で、就職運動して、新疆省に目をつけた。 当時は省が成立して20年たつかたたないころで、非常に不安定だったんだけれどね。
     ・・・・・・中略・・・・・・
(187頁)
〔司馬〕 そのクーデターのあとの成り上がり政権に、呉藹宸といったような青年が役人としての能力を売るべく新疆へ行く。
〔陳 〕 そのとき日本を通っていく。
〔司馬〕 そう、それを言いたかった。 北京からは汽車もなにもないからね
〔陳 〕 まず船で神戸に来て、そこから敦賀へ行き、またそこから船でナホトカへ行ってシベリア鉄道に乗りかえる。
〔司馬〕 シベリア鉄道はソ連領内の裏側を通っているからね。 その裏から伊犁(いり)に入り、やっとウルムチにたどりつく。
〔陳 〕 それを当時の日本の税関にいくら説明しても分らない。 新疆へ行くのに、なんで日本なんか通るのかってなっちゃう(笑)
〔司馬〕 東海の島国を経由した方が早いんだから、当時の中国は考えられないような広い国だなあ。 いまなら北京からウルムチまでジェット機で3時間ですけど、1930年代は日本周りでゆく。 もっともいま行っても、よくこんな所に人類は住んでるなというくらい乾ききった土地です。


 これがネットで見つけたシベリア鉄道の路線図です。
シベリア 

 いくらアンビリバボーと叫んでも、司馬遼太郎先生と陳舜臣先生のお二人が、そろっておっしゃってることなのですから事実なのでしょうね。。。

 それだけに、ここは司馬先生か陳先生のどちらかが、そのことについてもっと 「ツッコミ」 を入れて欲しかったと思います。 司馬先生の 「東海の島国を経由した方が早いんだから、当時の中国は考えられないような広い国だなあ」 というセリフは 「ツッコミ」 にも 「ボケ」 にもなってない。 ただユルイだけで面白くない パンチ! 

 ここは絶対 「ツッコミ」 を入れるとこやんかぁぁぁ !! 

138 中国は古くは漢の時代に新疆を直接支配したことがあります。 唐の時代にも新疆を直接支配したことがあります。 一番最近では清の乾隆帝が新疆を征服して中国領としました。 陳舜臣先生の 『本 中国の歴史』 によると、 「新疆の伊犁地方は乾隆20年(1755)の出兵によって平定された」 とありました (12巻5ページ)。

 それから170年以上も経った1930年代になっても、北京から新疆のウルムチへ行くのに、日本とロシアのシベリア鉄道経由で新疆に向かうほうが早かったというのでは、「国家の運営・統治」 という点では、無策 無能と批判されてもしょうがないと思います パンチ!  パンチ!  パンチ!

 古代ローマ帝国は 「すべての道はローマに通ず」 という言葉ができるくらい熱心にインフラの整備をやったのに、中国人は二千年以上もいったい何をしてたんやぁぁぁ 爆弾 爆弾 爆弾 


 ただ、この論法を主張しすぎると、新疆やチベットに鉄道を引いた中国共産党の政治が良かったということになりかねないので、とっても微妙……。。。 あせる

ウイグル暴動と塞防派 (さいぼうは)

2009.07.08.22:25

136 死者が150人を超える暴動なんて平和な日本では考えられない出来事ですよね。 

ウイグル2 URL ウイグル暴動、再び衝突も…死者156人に (2009年7月7日 読売新聞) 

 新華社電によると、同自治区当局者は7日、5日にウルムチで発生した最初の暴動の死者がさらに増え、156人に達した、と伝えた。 死者のうち129人が男性で残りは女性というが、漢族、ウイグル族の内訳は公表していない。 負傷者は1080人。


 URL 「ウイグル族に殺された」漢族が抗議デモ 新疆の騒乱 (2009年7月7日 朝日新聞) 

  憎悪が拡大再生産されている。。。ドクロ 

 URL 胡主席がサミット欠席、帰国…暴動に危機感 (2009年7月8日 読売新聞)

 主要国首脳会議(ラクイラ・サミット)に出席するためイタリアを訪れていた中国の胡錦濤国家主席は8日、新疆(しんきょう)ウイグル自治区ウルムチの暴動を受けて予定を中止し、急きょ帰国の途に就いた。


 中国共産党にとっては、これからサミットが始まるという一番嫌なタイミングで起きた事件ですね。 きっとメンツをつぶされたとおもって腹を立てているのでしょうね。。。

137 清王朝末期のことですが、中国の主敵は海からやってくるのか、それとも陸からやってくるのか、という問題がありました。 

 主敵は陸からやってくるのだから、国境線で防がねばならないとするのが 「塞防派 (さいぼうは) 」 で、主敵、すなわち仮想敵国はロシアでした。 この塞防派 (さいぼうは) の代表的人物がアヘン戦争で海洋狼のイギリスとやりあった林則徐でした。 林則徐はイギリスとの深刻な対立から、彼らが通商の利益を第一として、領土的な野心はあまり強くないということをかんじ取っていたといわれてます。

 一方、敵は海からやってくると考えるのが 「海防派 (かいぼうは)」 で、主敵はイギリスやフランスといった西洋諸国、そして日本。 その代表者は李鴻章 (りこうしょう) でした。 

 海防派 (かいぼうは) の李鴻章は 「心臓部保護論」 によって、 「新疆は中国の末端なので、すこし欠けても命に別状はない。 それにくらべて東南の沿海地方は、中国の心臓部に近いので、重点をおかねばならない」 と考えます。

 これに対して、塞防派 (さいぼうは) の左宗棠 (さそうとう) は、「新疆が重要なのは蒙古を保つためであり、蒙古を保つのは首都を保つためである」 という論法で、西北もおなじく心臓部に近いと主張したのだそうです。

 この海防派 (かいぼうは)、塞防派 (さいぼうは) という二つの考えは、たぶん今も続いていて、まさに現在の共産中国の問題でもあるのでしょうね。。。  爆弾 爆弾爆弾

天安門事件の亡命者

2009.06.20.12:30

 もう、ホントにがっかりするようなニュースですね 504

 URL 天安門事件追悼集会の映像放送=広州TV5人停職-人権団体 (2009/06/18 時事ドットコム)

 

 【北京18日時事】中国人権民主化運動情報センター(本部香港)は18日、中国広東省の広州テレビ局が香港で開かれた天安門事件20年追悼集会の映像を放送したとして、広州市共産党委員会宣伝部が編集者ら5人を停職処分にしたと伝えた。 テレビ局幹部も処分される可能性があるとしている。
 同センターによると、同テレビ局は5日、香港のテレビ局のニュース番組を中継放送する際、前日に香港で行われた追悼集会の映像をカットするのを怠り、10秒間映像が流れたという。

 改革開放政策のおかげで、昔と較べれば 「報道の自由」 の範囲も随分と広く認められるようになったと聞いていましたが、それでもこの程度なのですね。。。 ドンッ

 むしゃくしゃする腹いせに、きょうは日本人には少し耳の痛い辛口のお話を書いてみたいとおもいます 手裏剣
 
 「天安門事件も今月4日で20周年」 と前に書きましたが、事件後に中国を脱出した活動家の若者たちが一番たくさん亡命したのがフランスで、その次がアメリカなんですよ。 20年も経った今では亡命者の中にはこの記事 URL 「天安門のジャンヌダルク」、記念行事に姿現す 今は経営者に (2009.6.5 MSN産経ニュース) の元女子学生指導者、柴玲 (さいれい) さん(43) のように、アメリカで実業家として成功した人もあらわれています。

 そして、日本大好きの私にとって、とっても残念なのは、天安門事件で日本に亡命してきた活動家はたぶんいないということ

 日本人の多くは 「どうして?」 とおもうかもしれませんが、亡命者にとって日本国は決して信頼も尊敬も出来る国ではない、というのは歴史的な事実なんですよ パンチ! 

 こんなことを二十歳の私がいくら言っても、まともに聞いてくださる方は少ないとおもいますので、知識経験の豊富な二人の華人の言葉を引用してみますね。

 一人目は、私の尊敬する作家、陳舜臣先生が友人の故・司馬遼太郎先生との対談のなかで述べられている言葉です。

出典 : 「司馬遼太郎対談集 日本人を考える」 (文春文庫)  陳舜臣 「日本人は"臨戦体制"民族」

<177ページ >
  :  日本に入ってきた中国のモラルのうち、仁はまだいいとして、侠(きょう)という精神はまったく犠牲にされてしまっているんじゃないでしょうか。 

<179ページ>
  :  秩序維持といえば、今でもそうですね。 やつぱり国益が優先して、例えば亡命を認めないですね。 窮鳥懐 (ふところ) に入れば、という心がないんですよ。 国外追放処分を受けて本国に送還されれば明らかに死刑になると判っている人間でも、日本の法務省は送還してしまいます。 
 むかしからそうで、孫文も国外退去を命じられたことがある。 戦前、ベトナムから亡命していたクォンデという王族を、フランス政府からの要請によって、日本政府はあっさりと追放している。 終戦直後、汪政権の要人たちが日本に飛行機で逃げてきたが、彼らはこれまでの盟邦であった日本の侠をアテにしたのじゃないですか。 主席の陳公博は一高を出たが大学はアメリカなので、あまり日本を知らなかった。 よく日本を知っていた周仏海などは日本へ亡命してもむだだとみとおしていたのですね。 はたして、日本では行きがかり上、しばらくはかくまうが、あくまで面倒をみるつもりはなかった。
 最近も台湾独立運動家を強制送還して問題になった。 送還前に収容所で自殺した人もいます。 それゃ、自分の国で、よその国の反政府運動などをやられると、たいそう迷惑しますよ。 そんなややこしい連中は追放してしまえば、一ばん面倒がない。 国益からいえば、追放が最上の策である。 そして強制送還となる。 法律的にそうすることになっている。 とやかくいわれることじゃないでしょう。 しかし、これは、国家的に侠の精神に欠けているという、一つの表れじゃなかろうか。 

 司馬 :  ああ、侠の精神の欠落か。そういえばそうだなあ。

  :  日本の国益に反するから、この男がおったら困る。 それから先は知らん、という考えはまた基本論にもどるけど、これは戦時体制ですよ。 こういう奴がいたら困る、損か得かということが、すべてのものの判断基準になってしまう。  


 次は美食家としても有名な実業家で、直木賞作家でもある邱永漢(きゅうえいかん)先生の言葉です。

出典 : 「騙してもまだまだ騙せる日本人」 (知恵の森文庫)

<63ページ>
 ヨーロッパでも、アメリカでも、中国からの留学生に対しては面倒見がいいし、奨学金もくれるが、革新的な思想を持った若者たちが時の政府から危険分子として追い回されたりすると、親身になってかばってくれる。  日本だけはいつもそのときの政府のいいなりになるので、日本に留学すると差別を受けた上に、うっかりすると本国に送還されたりする。 当然いい印象を持たないで帰るのが日本留学生だか、フランス帰りやアメリカ帰りはのちに本国で出世して政府の指導者になると、昔を思い出してしぜんに良い関係ができる。  しかし、歴史はくりかえすから、次にフランスやアメリカに留学した学生たちはまたしても、時の政府に批判的な行動をとる。 すると時の政府と友好的な関係にあるから、留学生たちを送還したり、追放処分にするかというと、フランス政府やアメリカ政府では同じように中国政府の追及を受ける学生たちをかくまう

<65ージ>
 だから、亡命経験のある私は、将来、亡命の可能性のある後輩たちに 「間違っても日本大使館にだけは逃げ込んではいけない。 逃げ込むならフランスか、アメリカの大使館かのどちらかだ」」 と常々アドバイスをしている。
 そういった意味では、日本政府の国際信用力は低いが、日本大使館に逃げ込んだら、本国に送還される可能性が強いぞという噂が立つことは、日本の外務省にとって悪いことではない。 革命の志士の間にそういう噂が立てば、イザという時、日本大使館に駆け込む人がいなくなるから、日本は外交上のトラブルにまき込まれないですむ。 その代わり、おどかせばいくらでも譲歩する国と見られるから、外交交渉の席上でまともな主張をしてもとおらなくなる。 フランスやアメリカとの外交交渉ではちゃんと常識的な対応をする中国が、日本を相手にする場合に限って居丈高になるのは、相手のご機嫌をうかがうようなところが見え見えになっている日本の態度から来るものであろう



 「 自由、平等、博愛」 を掲げるフランスと 「 自由と民主主義」 を掲げるアメリカ、それに対して、「「 和をもって貴(たっと)しとなす。 忤(さから)う無きを宗(むね)となす」 日本の違いがこんな形で浮かび上がってくるのですね 目

 日本人にも愛読者の多い 「論語」 のなかには、「君子和而不同、小人同而不和」 (君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず) という言葉があるのですけど、聖徳太子も十七条の憲法のなかにこの文言も入れてればよかったのにぃぃぃ


[過去の関連記事]
 URL 2008.04.03 Thursday 登山家・野口健さんの「侠」

 URL 2009.06.14<テスト中> サムネイル画像 「天安門」

<テスト中> サムネイル画像 「天安門」

2009.06.14.10:45

 私が二年近くお世話になったJUGEMブログになかったのが、 「サムネイル画像」 の表示機能 どんっ
(新システムではできるようになってるみたいです)

 FC2ブログにはサムネイル画像を作る機能がありましたので、それがどの程度の大きさで表示されるのかを試してみました。

 その結果がこれで~す。   
tenanmon  素材はこの記事  中国版Google「天安門」の検索結果が海外で話題に、外国人たちのコメントは… (2008年09月22日らばQ ) に掲載されてた画像です。  画像をクリックしていただくと元の大きさの画像が別ウインドウで表示されます。

 天安門事件も今月4日で20周年 504 ドンッ   
 私がまだ生後八ヶ月の赤ん坊だったときの出来事なんですね

 中国に 「共産党政府が言論を規制する自由」は あっても、国民に 「言論の自由」 はないことは華僑や日本人なら誰でも知ってる事実 目  

 インターネットも共産党政府によって検閲されていますが、中国共産党が何を国民の目から隠そうとしてるるのかが一目瞭然に分かって、面白い記事でしたぁ キティちゃん

 その記事の一部を引用してみますね。

 Googleで「天安門」を画像検索すると、1989年に起こった事件の写真がずらっと並びます。 ところが中国国内から同じ検索をすると、事件のイメージは一切出てこないのです。  検索結果の順番とかではなく、一枚も出てきません。


 手裏剣 手裏剣 手裏剣  ついでに、 「天安門事件」 の雑学を一つ披露しますね 手裏剣 手裏剣 手裏剣
 中国国内では、 Google(谷歌) 、 Yahoo! (雅虎中国) を押さえて最大のシェアを誇る検索エンジンの  百度(バイドゥ、Bǎidù) で 「天安门事件」 を検索すると、 「搜索结果可能不符合相关法律法规和政策,未予显示」 という文字が表示されるんですよ 目
(ウソだとお思いなら上のリンク先をクリックしてみてください まっくろくろすけ

 意味は 「検索結果は関連する法律や政策に抵触する可能性がありますので表示できません」 で~す パンチ!

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